おしつけまショウ
理不尽だからしょうがないよね

大変にヘビーです。
あーぁ、気が重い。


死刑は合法か?

なんて考えたことありますか?

合法なのはたしかですよねぇ。

日本という法治国家で、「法の下に」行われていることですから・・・

でも「憲法に違反している」と主張している人もいるのは事実ですね。

憲法の精神に合致しているとか、そのようなレベルの話ではなく

「死刑という制度」が必要かちょっと考えてみました。

こんな事で明るく振る舞うしかないのですよ

 

かなり昔から考えていたことがあります。

「息子が殺されたから、その犯人を自らの手で殺した」

(いわゆる復讐殺人)

あるいは、

「妻を殺した犯人を出所後待ち伏せて殺した」

という事件報道って耳にしたことが無いんですよね。

俺の耳に入った事がないだけかな?

まぁ、新聞斜め読みだからな!かなり怪しい(笑)。

大きな事件があると自分に振り替えて見る癖があるんですよ。

それも被害者の方に身を置いて・・・

「俺が被害者の親なら自ら手を下してやる」

っていう思いはあながち的外れではないって思うんですね。

本当の家族ならもっと切実な思いなのではないかと思うんです。

 

で、なぜこんな事件の話を聞かないかというと

(実際はあると思う。でも少ないんじゃないかな)

「死刑」

という制度自体に被害者の「癒やし」が含まれているんじゃないかなと思うんですよ。

と言うよりも、よく言われる

「死刑存続による犯罪の抑止効果」

よりも、

「死刑という制度による残された者の癒やし」

の為にこの制度は残されているのではないかなと。

最初に「制度ありき」です。

自分の家族を殺された者の一番の望みは、

「犯人を苦しめ、亡き者にする」

事じゃないかと。

この制度がなければ

「最初から犯人は生き続ける」

事を前提に、残された者は生きていかなけりゃならない。

「もしかしたら犯人は死刑になるかもしれない」

という前提とは大分と趣が違う。

はっきりと表すことができないが、その可能性が

「残された者への癒やし」になるんじゃないかなと思うんです。

これは犯人が「死刑」になってもならなくてもです。

 

書くは簡単。

自分がその立場なら・・・・

やっぱり犯人は死刑にして欲しいな。

これは理屈ヌキです。

よく話しに聞く

絶対に国家による殺人は許さない」

タイプの人間に一度聞いてみたいね。

「あなたの息子さんがXXXをXXXされて15時間苦しんで亡くなりました」

と、もし告げられたら、どう答えるか。

「罪を憎んで人を憎まず」ですか?

「極論だ」と言うでしょうね、そういう人は。

考えていないんですよ。

理屈ばかりで真実を見ることが出来ないんですよ。

「犯人が生き続けることが償い」ですか?

俺なら

「奈落へ落とすスイッチを押させて欲しい」

と望みますね。

国家が一般市民に「殺人」をさせないように、

「代理で殺してくれる」んです。

「死刑という制度」は・・・・

 

今日、ラジオのニュースで聞きました。

「和歌山砒素カレー事件」の裁判の経過を・・・

あの人が犯人かどうかはまだふれることが出来ませんね。

裁判中ですしね。

でも、考えることは出来ます。

被害者は間違いなくいるんだから。

この事を書いたのもそのせいです。

すべての殺人事件をひとからげに考える事はできません。

事件にはいろいろな背景があると思うから。

 

気が付くとかなりの確率で、表し方は悪いけど

「人を一人殺した」位じゃ死刑にならないのが現実ですね。

なんだか、そんなことが悲しかったり、歯がゆかったり、ほっとしたりしますね。

 

書かなきゃ良かったかな?

重いなぁ。

続くよ!


※すべての「悲しい思い」をした方へ。

 「がんばって生きて下さい」

 心から希望しています。